創立は仁徳天皇の御代と伝えられ、社伝によれば人皇第十六
代仁徳天皇当地方に行幸のみぎり、生島巫神を鎮めた給ひ、其の
後天皇都を高津(大阪)に遷されるや、当生島巫神を大阪の庄
石山崎(現在の大阪城付近)に遷座せられ、尓後生島庄栗山村
に生島巫神の別霊を祭祀、一祠を存続せられたと、今尚当地に
於ては、大阪生国魂神社より、其の創祀古しと伝え、信じられ
ている。この事柄は「三代実録、摂津志」に明記せられて居り、
明治維新前迄は、生島明神、生島辨財天の称を以って知られ、
生島宮寺を廃し、生島神社と改め、明治六年八月郷社に列せらる。
大正三年六月二十七日生島庄の内上ノ島村々社須佐男神社を
合祀、同年七月一日同じく大西村々社熊野神社合祀、大正四年
十二月九日同じく三反田村々八幡神社合祀して現代に至る。
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